名前

自分にいつけられた名前で生きること。
これが僕のこの世でのカルマのような気がします。
僕は、自分の名前に物心ついた頃からコンプレックスがある。
それは、小学校で名前を漢字で表記しはじめた頃から、始まったような気がする。
まずは、担任の先生が僕の漢字で表記された名前を正しく呼べなかったことから、違和感を感じていた。
自分の漢字で表記された名前が、間違っているのではないかと。
だから、僕は、いままで、自分の名前を隠してきました。
それは、己の存在を己で消すことであったし、自分の存在を、認めない行為でもあったような気がします。
この社会と関係を絶つことでもあるかのようにも感じる。
親子三世代続く、泰という文字に、僕は縛られたくはなかった。
宮崎駿監督のせんと千尋神隠しをいまになって見返すと自分につけられた名前のことを考えざるをえません。せんは、自分の名前を忘れると湯婆婆に支配され、二度と自分世界には戻れなくなってしまう。この映画で、監督がいいたかったことが、自分の名前で生きること、自分の名前を大切にし、自分自信の確固たる何かを持つことだとするのなら、ぼくは、いまになってようやく気がつきました。自分の名前を大切にすること。それは、とても難しいことだと思います。自分の名前でこの社会に参加すること。僕には、まだ、その明確な答えがみえておりませんが、僕は自分いつけられた名前で生きることについていまになって、考え、覚悟しました。